STもやめた!ビジョントレーニングもやめた!なんてタイトルで叫んでいるけど、
ここ数年では大決断、大転換で、
ここにいたるまでの経過は書くに値すると思い、書いていこうと思う。
おおむねの概要は、生理にさしかかったポコ(娘)が学童や学校にいきづらさ(生きづらさ、行きづらさ・・・両方ですね)
を感じていたとき、STの話が合った。けどかなり適合せず難航。そのころ一人通学で切り抜けようとしたが
いろいろな生活の不都合をビジョントレーニングなどで解消しようとしたが、これまた苦戦。
学校の先生と話をして、まずは学校に遅刻してでもいこうということで折り合いが付き
一旦は成果が出ないSTやビジョントレーニングなどもやめてストレスフリーをめざしたらだんだん生活が形になってきた・・・
なんていう話になると思います。
目次
こんなことも怖がるのか・・・? 小学校高学年で「あれもこわいこれもこわい」
市の発達支援から連絡があり、順番待ちだったSTに通うことにした。
ST(スピーチトレーニング)言語聴覚士が発語や会話を訓練してくれるものだ。
経管栄養で口から物を食べなかったポコは、発語が発展途上だ。中1で、いまだにサザエさんのタラちゃんさながらのしゃべりである。
STはどう考えてもマスト・・・そう思っていた。
かかっているSTのところは先生も優しくて、とにかく遊びから入り、まずは体の緊張をほぐすところから
ココロを砕いてくれるとてもいい先生だ。これは続けられる!と喜んだ。
ところが、勝手が違うところに行くとこうも動けないのか・・・というほどいろんなものを怖がるポコであった。
例えば、装具をつけたお友達が入ってくると、もうすくみ上って訓練ではなくなってしまう。
これでなんで怖がっているのか・・・?
聞いてみてわかったこと。当時を思い出す。
聞くのも時間がかかった。娘のポコもよく説明したと思う。
2年生の時まで通っていた肢体不自由学校のことを思い出した(現在は知的の学校)からだというのだ。
それから、いつもの「ちょっと思ったことがちがうと嫌がる」も爆発して、すぐショックをうけてしまう。
そうすると、それを聞いてあげれば解決するのかもしれないところなのだが、
同行しているママが(うちはこういうときでも家族3人で参加することが多い)文句をいったり難色をしめしたりで、
さらにもめたり泣いたり・・・50分の時間の中、ほめたりおだてたり始めるのだが、毎回大した訓練もできないで帰ることが多かった。
そうして始めたST。その頃娘のポコは学校も行きたくない、知的の学童も苦手な子がいたり、いろいろな苦手が同時に吹き上がって、
まさに居場所がなく、安住の地をもとめて家族でさまよっていたのであった。
コロナの中、解決を求めて始めたビジョントレーニング
小6三学期をまたいで、コロナが猛威を振るい始めた。そのころから始めたのがビジョントレーニング。
日本ではあまり知られていないが、発達障害とみる機能(視機能)は密接な関係があり、ここを改善すると効果があるというのだ。
ポコは5年生の時に専門の小児眼科で乱視の診断を受けメガネを作ったが、根本的に改善していないところがあった。
テレビの画面を写真にバシバシとったりして拡大するとか、足元に落ちているものを見れていないとか
どうも「目が完全に見えていない、使えていない」ような節がある。
ここを解消することが、学校のお友達とちがうような、発達障害や学習障害を攻略する糸口になるかと思ったのだ。
本を見て色々試したが、どうやら遠いものと近いものを見分けるピント調節は眼球移動が少なく、これはトレーニングの必要があると感じられた。。
それで、ビジョントレーニングをやってもらえるところを探して、行き始めたのだ。
ビジョントレーニング、ここでも・・・だめだな。
ビジョントレーニングの先生も、当たり前だけどとても親切。何かを無理強いすることもない。
でも、どうやらポコには受け入れられないようだった。たとえば眼球を動かすのだから、ペンなどで指し示すのだが、そこに動物の頭がついているだけで
なんだか嫌らしい。受け入れられないようだ。
ちょっと思い通りにならないと、「パパ、パパ」と同行してくる自分に泣きついてくる。
万事そんな感じだから、課題を出されたってまるで出来ない。
ううむできないというか、イヤイヤ感がむき出しである。
当然だが、「将来のために必要なことだから」とかいっても耐えがたいものらしい。
学校の先生と話して感じた事。
そんな中迎えた、学校の三者面談。
担任の先生には現在の状況も話して、STやビジョントレーニングに取り組んだが、大変苦戦している・・・旨話した。
すると、先生は学校でポコがお友達や先生とそれなりにコミュニケーションをとって、大変立派に立ち回っているような
話をして、こう付け加えてきた。
「STやビジョントレーニングは大事だと思いますが、お父さんお母さんの判断で続けてもやめてもいいと思います」
たしかそんな感じ。
つまり、学校ではかなり成果が出ているから、無理してその辺の訓練を押し込まなくてもよい、それよりも学校で立派にやっていることを
認めて、ストレスを少なくした方が、将来いい方向にいくのでは・・・
直接は言われなかったが、そう思われた。
ここは説明がむずかしいな。。。
自分の職場は肢体不自由の学童クラブだが、いろいろなお友達をみている。なかには、まるでお話ができないけど、母音の発音だけで、まあ意志を伝えられる子や
ほとんど身振り手振りだけでうまくやっている子もいる。
確かにSTも大事、ビジョンもできればいいのだろうが、仮に10年かかっても訓練の成果が出ないかもしれない。
そうしたら、発音や視機能を完璧にするより、
今「手持ちのコミュニケーション力だけでやっていくにはどうするか」を無理ない方向で考えて支援する方向にシフトした方が幸せなのか?
という気がしてきたのだ。
これは内々考えていたことだが、はっきりと意識したのはこの時がはじめてかもしれない。。。
ストレスを少なくしてみた。すると学校で。。
外部の訓練をそのようにしてやめ、一人通学もまあ遅刻して良いことにして(これはまた後述)、とにかく
ノーストレスを目指した。
すると、学校でもニコニコすることが増えてきたという評価。
さらに気に入ったお友達も増えて、
まあ全部が全部ではないが、
「多少苦手なことがあっても、それより学校に行きたい気持ちが上回る」ようになってきた。
最近は「友達と仲良くなるにはどういった話をすればいいの」みたいなことを聞いてくるようになったのだ。
もはや世間体みたいなものは考えていないつもりだったが、
視機能が改善しないと。。。とか、さ行た行が上手に言えないと。。。とか
結構固定観念で自らを追い込んでいたかもしれない。
大事なのは本人がまず楽に動け、いろいろ楽しみや希望を持てるようにすること。
まずそこから積みあがってくることもあるのかな?と今は思うようになった。
つづく。