基本的気分35 正論を言われるのは大嫌い。わかりきった話をしないでください
前回分気分34 家族が障害者で良かった。障害者同士でないとわからない
出来ればやってる。本当にそれ
精神を病んでいる人は、必ず「そんなのわかってるよ」というのがあると自分は思っている。
気持ちを抑え込んだり、気持ちを平静に保ったり、家の掃除をしたり。。。
出来ればやっているし、それが無理なくできればもう寛解したようなもの。
そして、これもまあ仕方ないことだが、そういう病気になっていない人はそういうことがわからない。
出来の悪い子供を見る目と同じだ。
なんでこんなことができないの?
どうしてこんな結果のわかりきった事でなやんでるの?
言葉にしてなくたって、そういう態度をとる。
無理はない、それが健常と精神障害者の関係だ。
ここからは最近わかってきたことだが。。。
さらに年を重ねると、これが厄介だ。お互いに勘違いや、思い込みが交錯して、さらに 正しい理解を妨げる。
つまるところ「私はこういう人間です、どうか、ありのままを受け入れてくれ、とはいいませんから せめて見て見ぬふりをするか、わかりきったことで説教するのをやめていただきたい。。」 と訴えたいが、
そんな気力もないんですよ。
社会に向かってわかりやすく発信できるような人は もうかなり調子のいい方。(まあ軽躁状態ならできるかな。。)
結構弟をいじめた
かつては自分もアスペルガーの弟にさんざんそういうようなことを言ってきた。
とるに足らないことができない、
また信じられないような細かいことにこだわりまくる。
食べ方が超々汚い。
でも、本人にとってはそれが精いっぱいだし、それを否定されたら、それは自尊感情ダダ下がりだわ、といまは思う。
おそらく本当に「どうしようもなくしかたなく」なのだ。
障害者を傷つける正論なんて、言えなくなってしまえばいいのに。
言おうとすると、なんか遠まわしにいわれるのも きついので、なにかユーモアか魔法の言葉に置き換えて話せるようにならないかしらと、思われてならない。