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発達障害のママに発達障害の娘の世話をさせようとした。結果は?
前回分ハック41 障害者オタク 一生悔やむし、一生恨む 生の感情を大事に
後悔先に立たず、というが。。。思い返すことあり
遅かれ早かれなったとしても、こうしておけばよかった。。。と後悔を残すような出来事はいろいろある。
ママが娘が小学校に入るときに大きく精神を崩して、後退した時の話を書くことにする。
さて、娘が肢体不自由校に入学したとき、我々夫婦は経管栄養のフォローのため、1学期じゅう毎日 学校に行くことになった。
教師やスタッフが経管栄養で注入の引継ぎをするための措置だ。
非属人化。。。医療ケアのサービスは誰がやってもできるように、また同じ質のサービスを提供できるように 十分な練習と引継ぎをしなければいけないということで、
家では注射器(シリンジ)で注入していたのだが、 ボトルで点滴みたいに注入しなければいけなくなった。
そういう細かいこともママは納得いかない。
「他の県内の別の特別支援ではできるになんでここではやらせてくれないの!」と不満たらたらだ。
担当コーディネーターもロボットみたいな冷たい人でそれも「事務的だ」と気に食わない。
さらに、ほかのママたちは、地域の通所施設ごとにママ友で出来上がってしまっていて、まるで構ってもらえない。
そんなストレスを抱えたまま、一人でママを学校に行かせてしまったのだった。
来た!!電話が!!ママは大丈夫か
仕事の時急に電話がかかってきた。ママの救いを求める電話が。。。
そのときたまたま電話に出られなかった時に学校ではママがちょうど担任の先生と 意見が衝突して、けんかしたか、大声を出したかでショックをうけていたのだ。
その時すぐママと話せれば少しは収まった可能性はあったと思う。
だがママは瞬間湯沸かし器だから、自分が電話に出られなかった時点でもう瞬間最大風速で壊れてしまった。
自転車で出かけていたので、通信不能になって帰途についたママを追いかけて 結局同じルートを通って迎えにいったのだった。つかまえて途中で食事をして、
その日は事なきを得た。
だが今思えばこの時点でかなり精神的ストレスは蓄積されていたと思う。
さらにとどめを刺す事件が。。。取り返しのつかないことになった!
翌日、本人が大丈夫だというので、学校にまた一人でいかせたら、また昼過ぎに電話がかかってきた。
帰りの道すがら、「迷子の女の子を保護したので、どうしよう?」というのだ。
ママはそういうのが見過ごせない優しい性格なのだ 。
位置情報でしらべたが、最寄りの交番がない。
仕方なく警察に連絡して、迎えに来てもらうことになった。
ところが5月にしてはものすごい炎天下のその日、警察に引き渡すまで 一時間近くかかってしまい、
文字通り頑張りすぎたママは精神が「焼き切れてしまった」のだ。
ママは寝込んでしまい、そのショックで自尊感情が下がってしまい、学校にも一人でいけなくなってしまった。
後悔は尽きないが。。。それでわかったことも大きい。
最初っから二人で行くようにすれば良かったのだが、その時にはそこまでママ一人では無理だと思っていなかったのだ。
だから、多分そこで事なきを得たとしても、遅かれ早かれママは学校でかなり傷つくことにはなったのではないかと思っている。
でも、あの時、電話に出れなかったせいで、警察に引き渡すのに時間がかかったせいで。。。ママは壊れてしまったとは常に思い返すのである。
このとき色々と教訓を得たが、精神的ショックでも、急激な肉体的疲労でも精神元気物質(仮)は大きく減ることがある、という経験は大きかった。