前回分→発達障害の子育てはつらい。ましてうちではやうつ(鬱)患者が担当しているんだから。。。そりゃもうね2
ママがとうとう家出をして。
ママが家出をして、実家に帰った。 その前にママが2階から飛び降りて行方不明になる事件もおこしているから、 市の保健センターにもはいってもらって、ママの実家とも相談した。
普通の感覚だと、まあママの実家にかえって2週間くらい休ませれば。。。という感じもあるが、
ママの実家には引きこもりで家族に暴力をふるうママの兄がいて
(ママの兄はママをブロッコリー沼に引き込んだママのオタクの先生的存在ではあるが、このころ兄の話をするとそれだけで泣き出して精神が崩れるくらい苦手だった。
暴力を振るう兄。それになすすべもない実家の両親。その状況だけで正義感の強いママはフラッシュバックして泣いてしまう。だから実質的に実家にも戻れないのだ。
だからこの時も実家の近くで実母とあって、戻ってきた。)
もう一時的でも、なんでも、とにかく世帯分離しないとまずい状況だと姑も理解したようで、家賃は助けるからとにかく外に出ようということになり、
結果、娘の通所施設と、市役所にも近いところに親子3人引っ越した。
引っ越すまでは実家の人たちと合わないようにして、そろそろと荷物を運んで引っ越した。
やっと実家から離れられた。。。それでも!
引っ越したアパート物件は、市役所の近くなのになんでこんな整地されてないんだろう。。。というような細い路地に立っていた。
それで、とにもかくにも物理的には実家のストレスからは離れたわけだ。娘は通所施設でお迎えの場所を変えてもらって、自分もどうにか仕事を再開することができた。
でも、ママのフラッシュバックはときどきすさまじかった。たまたま実家の車が近くに通りかかるだけで崩れてしまい、頓服を飲ませて、気晴らししてようやく収まる。。。なんてこともしばしばあった。
それでも通所施設のお見送りもママがやっていたし、この時点ではまだそれなりに仕事をしてくれていた。
でもこの時点でご飯とかはほぼパパである自分が作っていた。残業ありのフルタイムで帰ってきて、食事も自分で作るのは、本当にきつくて、いろいろ恨み言を口にしていたと思う。
今度は娘とぶつかりだしたママ
ここまでは、ほぼ実家の姑との衝突のストレスをどう避けるか、という感じであったが、娘が通所施設でよく遊んでもらってそれなりにコミュニケーションが取れるようになると、今度は娘とけんかするようになった。
けんか。。。というより娘が思い通りの行動をとらないとママがかってに崩れる、という感じだ。
そのころの娘は経管栄養で3時間おきに栄養剤を鼻から注入(これは二人でできるようになっていた、それにしても寝るまで3時間おきに常に注入。二人とも神経質になり、かなり消耗した。
発語は遅く、5歳のころ、ようやく「アンパン、アンパン」いうようになった。
サザエさんのイクラちゃんの「ちゃーん」と同じだ。同じことしか言わない。あとは身振り手振りで伝えてくる)
そして最大の危機が。。
ママと衝突しても、自分がフォローし損ねても、ママは自尊感情が下がり、「私なんていないほうがいい」「消えたい」「死にたい」と言い出す。
そしてやはり家出をする。たいていは近所の公園とか、それほど難しくないところで保護できたが、そのつど探し回って消耗した。
そんなことを繰り返したある日、何度も精神を崩したママが「手首を切りたい。。。」と言い出したのだった!
(教訓的要素。。でもないが、このときは市役所の保健センターにも相談した。第三者機関に入ってもらう、相談するということをようやく覚えた。
「お役所仕事」はいうけれど、かなりいろいろお世話してもらった。この親切さはなんでだろう。。?
このままだと障害児童の虐待やネグレクトにつながると思われたのか、とにかく手厚かった。これはあたりはずれがあると思うのだけれど、現代、普通に、市役所区役所、第三者機関に相談をして支援してもらう時代なんだな、と痛感した。
あとは、「悪気がない善意」がボタンの掛け違いにようにすれ違った時の破壊力はおそろしい、ということだ。姑は地域のコミュニティでもかなり中心的に働いていたし、かなりたよりにされていた。
そんな肝っ玉母さんでもないし、おだやかな普通の田舎のおばさんだ、と思っていた。まあ身内のよく目もあるだろうが。。でもママにはまるで相性が悪く、まるで悪い面ばかりが出てしまったのだ。)
この項目続く。
次→障害児の子育てはつらい。ましてうちではやうつ患者が担当しているんだから4
発達障害ママが崩れまくる泣きまくる。低体温か頭痛?めまいと吐き気
障害をもつ子供の支援。発達障害のママと発達障害の娘の衝突をどのように解決するか?