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気持ちの弱い人に、楽になってほしいというメッセージなんだな。でも
こんなツイートを拝見した。
「自分は絶対に正しい」
「自分は間違ってない」こういう人が一番間違ってる。
自分の無知を知らない愚か者。
自分の弱さを見ないふりする臆病者。
そんな人達がキャンキャン吠えても気にしなくていい。「私は弱い」
「私は足りない」その弱さ足りなさを認めて向き合える人の方がよっぽど強い。
— ナナチル@アダルトチルドレン (@burytheold) April 10, 2019
自分の素直な感想は、こうかな。
好きでやるんならいいけど、精神障害者ならわざわざ「自分の弱さと向きあう」ことはないでしょ。
まず1つ。
この手のツイートをみて、「わざわざ自分の弱さと向きあう」なんて考えなくてもいいよ。
そうそう自分は変われないんだから、弱いなりに、足りないなりにできることをやればいいと。
だって、ほんとに気持ちが疲れてる人は、向き合うだけで本当に消耗するよ?
2つめ。
「自分は絶対に正しい」「自分は間違ってない」これは非常に大事なこと。これが全然なくなったらどうなるだろう。自販機のボタンを押すのだって、ご飯のおかずをどこから食べるのかだって、悩みだすよ。
ましてや人生の決断なんて、人の顔をみないと決められなくなってしまう。
そりゃ、謙虚さは美徳だし、まわりの人に「この行動で、この発言で大丈夫ですよね?よね?」と、つど安心させながら、折り合いをつけて動ければ安心だろう。
でもここにきて、そうじゃないと思うようになった。
仕事で、思い込みの激しい人にいろいろ教わる話。
自分の仕事の話だけど、自分は障害者の介護関係の仕事をしているが、最近平成生まれ30うん才の威勢がいいのが入ってきた。
まあ、てきぱきと動くし、いろいろ事態を予測していい動きをする。んだが、まあ肝心な時に自分の方が先輩なのにいろいろ指図するのだ。こっちはうつで、指摘されると怒られていないんだけど、その都度自分が否定されたように落ち込むわけだ。
だけど、いまはそれにも慣れてきた、というか、「それくらいでいい」と思うようになったのだ。その理由はいくつかあるわけだが、
まず、発言に悪意がないところ。つぎに、「自分だってそれくらいの年の時は、ほぼほぼ思い込みで動いていた」、ということに思いが及んだのだ。いわゆるかき回すけど、状態をうごかしていく主人公タイプというか。。。
指示、判断が大きく間違えれば、児童発達管理官とか管理に怒られるだろうし、
折り合いがつくのなら、自分の思い込み、自信でスパっとうごいてもらったほうがいいんだ。
謙虚さとか、周りとバランスをとる発想なんかは、自分の心が十分ぶれなくなってから徐々にみにつけばいいんだから。
「自分の無知」「自分の愚かさ」そんなのはさ、思いっきり生きている人なら遅かれ早かれ必ず気付くのだから、それよりもいくらかでもある自信や思い込みを大事にしていきたい。
※これらに気付かないで周囲を振り回して、死んでいけたら、(周りには迷惑かけるけど)それはそれで幸せな人生、あやかりたいとは思う。
というようなことをいろいろ思い出したり、勝手に教わったりしたんだ。
弱いのも普通、足りないのもいつものこと。「無理して向き合わず」でいいんじゃないかな。
一見して非の打ち所のないご意見である。かなり正しい。これで腑に落ちたり、救われたりする人がいらっしゃるのだろう。これだっていろいろな背景から紡ぎだされた言葉だろうから。
でも、こういう自分だから、こういうトーンでは話せない。ツイートできない。
正論は無理して見なくてもいいものを見させられるし、無理して向き合わなくていいものと向き合わなくてはならなくなる。
雑誌でも、SNSでも、「字になってしまったもの」は恐ろしい。
まず、事実はどうあれ、気持ちを楽にするためのノウハウ、リラックスできる方法を積み上げて心の安全を厚めに確保。すべてはここからだ。
気分37 断捨離?守破離?障害者オタクにわかりきった話をしないで
発達障害のママが3年ぶりにリスカしたいと言い出して。解決とこれからのこと。。。
障害児の子育てはつらい。ましてうちではやうつ(鬱)患者が担当しているんだから。。。そりゃもうね