声優大平透に声優学校で教わっていた私の思い出をまとめました。
主にWIKIとかでは載っていないであろう、大平透先生の声優育成の業績や、世間的に怖いコワイと評判の大平透先生がその実どれだけ怖くも優しい人物であったかについて書きました。興味がある方は、お付き合いください。
笑ゥせぇるすまん喪黒福造役の大平透先生に教わっていた私。
2016年昭和の偉大な声優がなくなった。大平透先生だ。 「先生」がつくのは、自分が大平透先生に教わっていたからである。
でもこの障害者生活で、お別れの会にも伺えなかった不孝者。。。それでもいろいろ忘れないうちに書いておこう。
その昔外国ドラマの吹き替え、たしか「アンドロメダ」の現場だったか、主役の速水奨さんが自分に話しかけてきた。 「大平プロは大阪じゃなかったっけ」
そう思われるのも無理はなく、声優教室が流行る前から大阪で私塾をひらいて声優を養成されて いたのだ。
自分は東京でお世話になったが、とにかく筆まめで面倒見の良い先生だった。 一旦は家庭の事情で教室から離れた自分が相談した時に声をかけてくださり、デビューのきっかけを作ってくださった。
生吹き替え時代、「名前の知られている声優が大平透しかいない時期があった」という人がいるくらい有名だった大平透先生。
世代によって思い出される代表作は違うだろう。
生吹き替え時代のスーパーマンのクラークケント。ガッチャマンの南部博士。シンプソンズのパパ。スターウォーズのダースベーダー。。。
スポーツ新聞とかだと笑ゥせぇるすまん喪黒福造の人になるのだろうか。
特撮マグマ大使の敵役ゴアの声を担当。はじめは助監督さんが着ぐるみに入っていたのだが、その演技が良くないと、代わりに中に入って 声も芝居もされていたというのは何度も伺ったお話し。
有名なのは笑ゥせぇるすまん喪黒福造のキャスティングだろうか。
先生の話だと、ほとんど熊倉一雄さんに決まっていたそうで、 そこで監督に乞われて一声入れたら、一発でひっくり返り、大平先生があてることになったという。
厳しい?身震いするほどの恐ろしさだが、やさしさからくるものなのだ
とにかくプロ意識が高い大平先生の話は多くの方が語るところだが、自分もデビュー間もない女性声優を叱りつけた話とか伺った ことがある。たしか「17歳」の。。。?
まあ誰でも新人時代は発展途上だったのだろうが、大平先生から見たら、かなりの方が微妙な声優さんになってしまうに 違いない。
また、そのポリシーからか、そりの合わない声優さんも少なからずいらっしゃった。まあここでは触れないが。。 (^^)
「大平透が厳しい」というのは間違いなく、東京の学校でも同期の女の子が教室で突っ伏して泣いてしまうなんてこともあったし、 まさに「鬼の大平」という感じだった。
われながら、よくそんなコワイ先生のもとに戻ってきたなと思い返すわけだが、
やはり厳しい中にも慈愛にあふれた先生だった。
たとえば先生はよくテープ添削をやってくださった。吹き込んだ朗読音声と原稿をもってお願いすると、すごいレベルの添削をされて帰ってくる。
他の中堅声優なら一回5000円みたいなレベルの事を、持っていけば毎週でも やってくださった大平先生。
赤ペンで丁寧に原稿を添削。赤びっしり。およそ褒められたことはない。
そして詰めが甘い、やる気がない姿勢には本当に厳しい叱責が赤ペンでつづられた。「大平イズム」を叩き込まれる。
身震いするほどの恐ろしさ。
またデビューできた時は、我がことのように喜んでくださった。
自分が昔スーパーマンの新作アニメで役をいただいたとき、 往年の生吹き替え時代スーパーマンをやってらっしゃったこともあり、いろいろアドバイスをいただいたことも忘れられない。
そのため、恐怖よりも、やはり丁寧に指導していただいていることのありがたさで、ついて行けたのだと思う。
「大平イズム」よ永遠に
もう20年以上の昔の記憶だが、デビュー前後の鮮明に思い出される様々な記憶。。。
大平先生は傑出した昭和の大声優であり、後輩の育成にも極めて献身的に尽くされた方だ。その偉業は決して消えることはないと思う。