夫婦で綴る、趣味と障害の日々。

障害児の子育てはつらい。ましてうちではやうつ(鬱)患者が担当しているんだから。。。そりゃもうね

振り返り。。。まさか自分がうつ診断されるとは

自分がうつと診断されたのはもう6年くらい前だと思う。明らかに気持ちをおかしくしているママを心療内科に 連れていくために、「自分はここのところ仕事でストレスを感じているので、一緒に病院にいってくれないか」という 方便だったのだが、よもや自分が「鬱病」に診断されるとは。。。

それで、結局パパ(自分)がうつ、ママは気分変調症と 精神遅滞と診断されたのだった。

さて今年6年生になる子ども、娘のポコ。この子は特別支援学校の肢体不自由校と知的校を渡り歩いた、発達障害児童だ。

肢体不自由校にいるときは医療ケアが必要な経管栄養があり、それを克服したら知的校に転校を与儀なくされた。

そうでなくても「子育てはつらい」というのに、うちではまず実家の障害にたいする無理解と戦わねばならなかった。

ママの発達障害と、子どもの発達障害と。。。

今思うと、これはママの発達障害と、子どもの発達障害と両方の無理解だったのだ。

子どもに対しては経管栄養でも「そんなチューブとっちゃったら、おなかが空いて自然に食べられるようになるんじゃないの?」※できればやってるよ・・・

みたいなところとか、「こんなに頭がよかったら地元の小学校の特別学級にいけたんじゃ」※行動監察の結果、先生対生徒比率が1対8で無理だっていわれたんです・・・

みたいなベタなことを言うし、

ママの「子育てのルール、こだわり」も尊重されないから、

栄養補給もすんでないのに勝手に連れ出されたり、

勝手に髪を切られたり、

勝手におもちゃを買ってこられたり。。

そのたびにママはショックを受けたり傷ついたり、寝込んでしまったり
したものだった。

ママは先ほど述べた通りのちの心療内科診断と検査で精神発達遅滞の発達障害と気分変調症の診断を受けるわけだが、

思い込みが激しいのに加えて、思い通りにならなかったときのショックで、泣き出したり自尊感情がダダ下がりしたりとその瞬間最大風速は驚くべきものだった。

姑(自分の母)は昭和戦中世代の田舎のおばさんだから、それでもかなり本人は
気を遣ったつもりだったのだろうが、

結果すべてが裏目にまわったのだった。

発達障害の子育てはつらい。ましてうちではやうつ(鬱)患者が担当しているんだから。。。そりゃもうね2につづく。

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