発達障害児にお金の勉強を何回目かのリベンジ。すぐ忘れるのだけれど、これが現状だとおもってスタートするしかないのだ。

元気いっぱい答えるんだけど、答えは。。。?

なんで、これができないのとおもうけど、そこは、現状がわかった、ここからスタートという気持ちで。。。という話。をまた書きます。

六年生になったらお金をがんばるといった娘。

「お金」というのは金勘定や金額計算のことだ。この前落とした50円を拾って「500円」っていった。ここに現在の問題が象徴されていると思う。

10進数とか、桁の感覚はほぼない。元気いっぱい、これわかる!といって答えてそういう風に間違える。

お金の計算は、それこそ小学一年からやっている。しかしいまだに10桁感覚はガタガタ。5円も50円も500円も、その違いがはっきり区別できずふわふわしている。

まあ、それもいい。いまのところ本当に覚えられないのだろうから。変に自信を失ってしまう方がマイナスだと思っているので。

長期休暇を挟むと、わすれるんだそうで(^^)

ショックだったのはそのあとの物言いだ。「春休みやっていなかったから、忘れた」というのだ。

仮面ライダーの顔認識はできるのに、これはどういうことか?ということで、「なんでこんなことができないの?」とありがちのワードが浮かんでくる。

そう。人間には、誰しもたやすく積み上がらない分野がある、これを端的に感じさせてくれる事件であった。

記憶力がないわけじゃない、好きなものはそれなりに覚えるのだから。 ヘレン・ケラーの水認識と同じで、(今はあまり有名じゃないのかな。三重苦のヘレンケラーが手話と実物の水が劇的に結びついて、そこから世界のつながりがひろがるわけだが)彼女にとってのワラ体験がかけているのだ。

もはや学校には頼れない。ほかの難しいお友達もいるしさ。

学校のやり方で覚えないのなら、 なにかとんちを捻らないと。

何年たっても積み上がらないものは、別の方法を考えるか、なくてもどうにかするにはどうするか、 を考えるようになった。

だが、計算機使うにしてもなんにしても、せめて額面と金額。 そしてどれくらいの大事さなのか?を実感させてあげたいと、思うわけですね。

そこで、今読み聞かせはやっているのだが、すこーしづつ覚えさせることにした。

機械的な暗記を繰り返して、やがてあわよくばなにかに気付いてもらおう。。という作戦だ。

まず

これは60円と教え込む。6でもなく、600でもなく。。

これが確実に「60」になれば、いろいろ応用がきくという予想の元。。ここから始めた。

さらに読むだけ

1の位、10の位。。とかは意識せず。

加えて、

これも4860円とただ読ませる。これはポコの欲しいおもちゃと、

本人がわからないなりに計算したおもちゃの消費税なのだ。

毎日これを繰り返したある日、「「1090」はなんて読むの?」と聞いてきた。

桁を意識したのか、関心が育ったのか。。。

ちょっとづつなら知識は入る。でも肝心なところは本人に気付きに任せる。

当座こういう路線で試してみようとおもう。