子育てでうつ。対処法は?いまある支援ノウハウは皮肉なことにすべての「必殺技」を封印するところから生まれた。なんで?

2019年9月21日

子育て。しかもうちは家族全員手帳持ちの障害者。。。

必死に取り組むも、予想外事態の連続。なにをやっても裏目にでる中、

あみだされたいろいろな言葉、支援の方法は「家族がいうことを聞かなかったから」生まれたことに気が付いたという。本当に自分もびっくりの逆説感全開のレポートなのです。

自分のやり方を全否定するママや娘が、いまの支援スタイルをつくった、と気付いた。

もともと極端な行動が好きな人間だった。

三時間睡眠とか、一日一食しか食べない単食ダイエットとか。

長期的な努力は苦手、瞬間最大風速で乗り切るタイプであった。大学や中学受験生時代の努力のテンションで家族の問題もどうにか解決しようとしていた。

その得意分野のほとんどが家族に封印された。

極端な言動や、急激な変化は苦手なママ、娘。「今からAをBにします」みたいなことをやりだすとびっくりしてしまう。自分のせいでライフスタイルが変わる→自分のせいで迷惑がかかった、となってしまうのだ。

必死の努力している姿も、良くない。ヒステリックも良くない。自分のせいで、パパが苦労している→自分のせいで・・・となるからだ。

特にママの言動は言下に否定はできない。その瞬間泣き出す。「いや、これはこういう意味で。。。」と説明しているときには回復不能になるほど気分が落ちている。

かといって、慎重に言葉を選んでいると、その「会話の間」を感じて、やはり崩れてしまう。

あからさまにほのめかすのもNGだ。どういうことかというと、ママが「AはBにしてみたらどうかな?」という→「じゃあ、ママの行った通りにやったけど、ほーら失敗しちゃったよ。これでわかったでしょう?AはBにしちゃだめなんだって」

というような、「いう通りにやってみたけど、ほらだめだった」というのもだめだ。

だから、自己肯定感を維持するために、ママの主張はとにかく受け入れる(それでも、細かく色々否定されていると思っているそうだ。そこまで、厳密には拾いきれないんだが・・・)

受け入れてから、考える。そのなかで、必死に考えノウハウを培った。

発言の責任は取らない!!と宣言する!!

「ママがこう言ったからこうなった」という展開を防ぐために、考えた結果。。。

言質をとるような行動を否定するために、発言の責任をとらない、そのたびに意見を変更してよい、とはっきり宣言することにした。

それを補足するために、「人間は時々間違う」ということを「言い続ける」。

完璧主義というムードを消し去る。。。無効化するというべきか。自分を含めて、「失敗して普通」というムード作りを作っていった。

思い付きで発言していいんだと。たとえば会社ではブレインストーミングとか「相手の話を否定しないアイディア出し」とかやるわけだが、これをさらに柔らかくしたような感じだ。

できるだけ、段取りを確認する。

スケジュールはしつこくないくらいその都度確認する。本人たちが忘れていると、「スケジュール通りにやっても、ショックを受ける」という状況を引き起こすからだ。

最近は「今聞いているけど、また近くなったら確認させてね」と言ってくれるようになった。

それでも、それでも本人が忘れ「直前によく聞いてなかったショック症状」はまま起こる。

そうすると崩れる、頓服飲ませる、何日か棒に振る。。。でもあとで冷静に振り返ってくれて、人に説明するときに「自分が確認してなかったから」と説明するようになってくれた。それなりに浸透してきた、のかもしれない。

すこし余裕が出てきたのかもしれない。

極端な「習慣上の禁止」を少なくする。「あからさまな禁止発言」を禁止する!

たとえば、ダイエットだって、おやつは食べたいときは食べさせる。自然に少なくできるようにもっていくところに知恵をつかう。

いまだにダイエットをしているというのに夜食はやめられない。そこで、メニューの置き換えだ。まず枝豆を食べる。それでもダメならヨーグルトがけグラノラ(プロテイン入り)を食べる。それでも我慢できなかったり、口寂しかったら、

さあどうぞ!チョコでもセブンのホットスナックでも、カップ麺でも好きなもの食べましょう!とする。もちろんこれは努力目標だから、もうむしゃくしゃしているときは、いきなりカップ焼きそばでも食べてもらう。

これも「精神が悪いときは、体に悪いものを食べる」と事前に宣言しているBプランなので、罪悪感は少なめだ。

これを繰り返した。

その結果、大袋のポテチからはなれ、そういうものでも、一度に食べる量が自然に少なくなってきた。

一般論だけど、旦那が奥さんにがみがみ言われるのは、いいと思う。奥さん孝行で、奥さんの気持ちを受け入れないと、奥さんのはけ口をふさいでしまう。でも、たいていシュチュエーション的に、つらい展開になりがちなのではないだろうか。

たいてい、年がら年中顔を突き合わせていないところに、わずかなスキを縫ってお小言を差し込んでくることになる。旦那もつらいから、「俺だってつらいんだ!!」と返してしまう。っ時々はいいのかもしれないが。。。そういう悲劇を間引くような試みでもある。

基本「あれやっちゃため、これやっちゃだめ」を言わないようにして、形にしていったのだ。

まとめ:必殺技を禁じて・・・たどり着く境地?

このように、自分にとっての極端行動のような「必殺技」を禁止して、ゆるいムード、もしくは強制されなくてもだんだんといい方向に持っていけるようになっていることに気が付いた。

誰だって人に言われるのはいやだ。自分を否定されるのはいやだ、つらい。そもそも当の自分が人に言われるのが大嫌い人間だし。

これをできるだけ避けるように少しづつルールができてきた。まあこれが出来るようになったのは離婚体験やいろいろな失敗が下敷きになっているので、

「みなさんもこのようにやってみてはいかがでしょうか?」なんておこがましいことは言えない。失敗に次ぐ失敗、やぶれかぶれの行動が今の自分たち家族を作っているのだから。

だから。。。

今子育てで苦労している方も、できないことや、家族が嫌がることはことさら追求せず、ときどき息抜きをしたり、深呼吸しながら肩の力を抜いて取り組んでみるのはいかがでしょうか?

と控えめにお伝えしてみます。